『はだしのゲンが見たヒロシマ』感想
「第3回新藤兼人平和映画祭」シンポジウム
『はだしのゲンが見たヒロシマ』
2011年製作
日本映画
公式HP←クリック
↓『はだしのゲンが見たヒロシマ』予告動画
「はだしのゲン」作者の中沢啓治さん(1939年3月14日 - 2012年12月19日)
が、
被爆体験、漫画家になり、
「はだしのゲン」を描くに至った人生を語る。
被爆した時の体験を、
被爆当時の実際の足取りを
現代の広島の街の実際の場所を歩きながらたどったり、
原爆資料館に寄贈、保管されている、
「はだしのゲン」や「黒い雨にうたれて」など
の原画を見ながら作品の背景や、
描かれた当時のことなども語られます。
「はだしのゲン」で描かれていることは、
実際に中沢さんが経験し、見たこと。
被爆の時の様子も写真を撮ったように生々しく、
脳裏に焼き付いているそうです。
「はだしのゲン」では、
お父さん、姉、弟が家の下敷きになり、
母と必死で救出しようとしますが、
火の手が回り3人は亡くなります。
ここの部分は、
中沢さんは、通っていた小学校の門の所で被爆し、
たまたま倒れた学校の周りの壁と
街路樹の隙間に命を救われ、
生き残り巡り会えたお母さんに
聞いた話を描いています。
手塚治虫に憧れ小学三年生で漫画家になる
と決意されたそうです。
家を失い移った広島市内で、
子ども時代は被爆しなかった人たちから
相当なイジメにあったそうです。
漫画になるために上京してからも、
差別を恐れ、被爆者であることは隠して、
漫画も原爆とは全く関係のない作品を描いていました。
しかし、お母さんが7年間原爆症で入院後亡くなった時、
火葬したお骨が粉々になって砕け、
砂のようで拾えない状態だったことにショックを受け、
漫画で原爆を描く決心をします。
『黒い雨にうたれて』を描きます。
黒い雨にうたれて/中沢 啓治
これは、
ニヒルなアメリカ人専門の殺し屋の青年の物語。
(ゲンが青年になった姿を想定して描いたそう)
掲載誌はなかなか決まらなかったが、
『漫画パンチ』に掲載され、
『黒い~』シリーズが描かれました。
少年ジャンプ連載人が描いた読み切り自伝漫画
「おれは見た」を
『週刊少年ジャンプ』初代編集長、長野規氏から認められ、
『はだしのゲン』の連載が始まります。
アシスタントを使わず、
自分で描きに描いたため、
疲労で腕が上がらず電車の吊皮も持てなかったそうです。
原爆資料館に保管されている『はだしのゲン』の原画を
見に行きます。
これが30年以上経っているのに、
本当に美しく力強い絵なのです。
特にカラーの原画の色彩の美しさが素晴らしい。
私は画集の出版の版下作りをしたことがあります。
写真での再現性、印刷での再現性で問題が出てきます。
実物となるべく近くなるよう色校を重ねますが、
やはり実物の色を完全に再現はできません。
展覧会で見た実物と、
図録や絵葉書の色が違うなあと思われた経験は
みなさんおありではないでしょうか。
広島平和記念資料館(原爆資料館)で、
2011年に
「こどもたちの見た戦争
はだしのゲンとともに」
の企画展があり、
「絵本はだしのゲン」原画も展示されたのを、
ご覧になった方もいらっしゃるでしょうね。
ここ←クリックで、
企画展のHPで原画がみられます。
これも写真で本物とは多少色が違うと思いますが、
ご覧下さい。
この映画で中沢さんの被爆体験を聞き、
原爆資料館の巡回展示会や、
実際に広島へ行き、
原爆資料館で見た
被爆者の皆さんの描かれた絵、
被爆体験の語り部の皆さんのお話しなどを
また思い出しました。
原爆投下後の惨状は、
映画ではなかなか表現しきれていない所もありますが、
原爆資料館の展示物では、
生々しく感じることができました。
行かれた事がない方には是非一度、
行かれることをお奨めします。
広島原爆の日に昨年と殆ど同じスピーチをした、
安倍総理はなんと無神経でしょうか。
(それを許す彼のブレーン、スピーチライターもですが)
こんな人に「集団的自衛権の行使容認」など、
させられてたまりません。
『原爆の子』『はだしのゲンが見たヒロシマ』
の後はシンポジウムでした。
加藤登紀子さん(歌手)
森達也さん(映画監督・作家・明治大学特任教授)
立花珠樹さん(共同通信編集委員)
御手洗志帆さん(新藤兼人平和映画祭実行委員長)
(鳥越俊太郎さんは体調不良のため欠席され
メッセージを寄せられました。)
御手洗志帆さん(26歳)は、
普通の会社員の女性で一人でこの「新藤兼人平和映画祭」
を主催してきました。
立花珠樹さんが新藤兼人監督に聞き書きした
『新藤兼人 私の十本』を読み
新藤兼人 私の十本/立花珠樹
『原爆の子』を観て感動し、
上映を思い立ちました。
過去二回の「新藤兼人平和映画祭」は公共の施設で行い、
赤字も出して自分で返済しました。
今回は新文芸坐に企画を持ち込み賛同を得ました。
お客さんはたくさん入っていましたが、
予想通り70代以上と思われる
年配の人がとても多かったです。
自分が平和の大切さを分かっていると満足せず、
子や孫とこういう機会を共有して欲しいです。
加藤登紀子さんは、
中沢啓治さんの作詞の
「広島 愛の川」のCDを出されました。
広島 愛の川/加藤登紀子
満州のハルピンで生まれて、
引上げ経験のある加藤さんは、
終戦後女性と子どもが集められ、
責任者にこの建物の中で餓死しますと言われたが、
女たちは承知せず、食べ物を買うために働いたことなどを
話されました。
「原発の平和利用は核武装の隠れ蓑。
いざ戦争となったら国は国民を守らない。
自分の命は自分で守って生き抜くことを忘れないで。」
森さんは、
戦争は嫌いだという
次の段階で、
戦争は「自衛」を口実に始まってきたことを考えて欲しい。
耳触りのいい言葉で説得されないように。
トラブルを恐れ、
なんとなく穏やかな所での着地をする風潮、
集団化が怖いと言われました。
立花さんは、
新藤監督が戦争は戦場で、
人を突き刺し、
突き刺されて死ぬ
という兵士の視点が必要だ。
と言われていたと紹介されました。
映画を観に来ていた、
鈴木邦男さんとパンタさん
(大好きなミュージシャンです)も、
急遽登壇されました。
鈴木さんはとても貴重な企画だと話され、
パンタさんは、
マイクが不調でゲストが地声で話されていたことを
老子の言葉、大音希声を例にし、
大きな音では皆聞かない、
だからロックはダメねと笑いを取りながら、
小さな声だと皆集中して聞いたでしょ?
と話されました。
昨日は新文芸坐の今やっている特集上映
「8・15 終戦の日によせて 反戦・社会派映画特集
映画をとおして日本の歴史を振り返り、戦争の悲惨や軍隊の真実を考えたい」で、
『私は貝になりたい(1959年、監督・脚本:橋本忍、フランキー堺主演)
『また逢う日まで』(1950年、今井正監督、久我美子、岡田英次主演)
を、娘と観に行きましたが、
こちらも若い人は殆どいませんでした(´□`。)
気が付いたら今年の劇場鑑賞本数200本越えていました。
もっとたくさんご覧になってみえる方も
たくさんいらっしゃると思いますが、
今年は3月までは忙しくて余り観ていないので、
4月から増えました。
ブログUPがなかなか追いつきませんが、
しばらくは、
戦争や平和について考えさせられる作品について、
書いていこうと思います。
もうひとつのヒロシマ──秀男と千穂の似島物語──/仲里 三津治
これは児童書ですが、
1万人を超える被爆者が運びこまれた広島の南にある「似島」が
舞台です。
大人にも読み応えのあるドキュメンタリーになっている、
おススメの本です。
はだしのゲン 文庫全7巻 完結セット (中公文庫―コミック版)/中沢 啓治
はだしのゲン わたしの遺書/中沢 啓治
「はだしのゲン」の実写映画第一作
(1976年)
製作・脚本・監督:山田典吾
主演:三國連太郎、左幸子
これ、小学生の時に観ましたが、
原爆投下後、
三國さんたちが家の下敷きになり、
火が回って亡くなるシーンなど、
当時はとても怖かったです。
「第3回新藤兼人平和映画祭」シンポジウム
『はだしのゲンが見たヒロシマ』
2011年製作
日本映画
公式HP←クリック
↓『はだしのゲンが見たヒロシマ』予告動画
「はだしのゲン」作者の中沢啓治さん(1939年3月14日 - 2012年12月19日)
が、
被爆体験、漫画家になり、
「はだしのゲン」を描くに至った人生を語る。
被爆した時の体験を、
被爆当時の実際の足取りを
現代の広島の街の実際の場所を歩きながらたどったり、
原爆資料館に寄贈、保管されている、
「はだしのゲン」や「黒い雨にうたれて」など
の原画を見ながら作品の背景や、
描かれた当時のことなども語られます。
「はだしのゲン」で描かれていることは、
実際に中沢さんが経験し、見たこと。
被爆の時の様子も写真を撮ったように生々しく、
脳裏に焼き付いているそうです。
「はだしのゲン」では、
お父さん、姉、弟が家の下敷きになり、
母と必死で救出しようとしますが、
火の手が回り3人は亡くなります。
ここの部分は、
中沢さんは、通っていた小学校の門の所で被爆し、
たまたま倒れた学校の周りの壁と
街路樹の隙間に命を救われ、
生き残り巡り会えたお母さんに
聞いた話を描いています。
手塚治虫に憧れ小学三年生で漫画家になる
と決意されたそうです。
家を失い移った広島市内で、
子ども時代は被爆しなかった人たちから
相当なイジメにあったそうです。
漫画になるために上京してからも、
差別を恐れ、被爆者であることは隠して、
漫画も原爆とは全く関係のない作品を描いていました。
しかし、お母さんが7年間原爆症で入院後亡くなった時、
火葬したお骨が粉々になって砕け、
砂のようで拾えない状態だったことにショックを受け、
漫画で原爆を描く決心をします。
『黒い雨にうたれて』を描きます。
黒い雨にうたれて/中沢 啓治
これは、
ニヒルなアメリカ人専門の殺し屋の青年の物語。
(ゲンが青年になった姿を想定して描いたそう)
掲載誌はなかなか決まらなかったが、
『漫画パンチ』に掲載され、
『黒い~』シリーズが描かれました。
少年ジャンプ連載人が描いた読み切り自伝漫画
「おれは見た」を
『週刊少年ジャンプ』初代編集長、長野規氏から認められ、
『はだしのゲン』の連載が始まります。
アシスタントを使わず、
自分で描きに描いたため、
疲労で腕が上がらず電車の吊皮も持てなかったそうです。
原爆資料館に保管されている『はだしのゲン』の原画を
見に行きます。
これが30年以上経っているのに、
本当に美しく力強い絵なのです。
特にカラーの原画の色彩の美しさが素晴らしい。
私は画集の出版の版下作りをしたことがあります。
写真での再現性、印刷での再現性で問題が出てきます。
実物となるべく近くなるよう色校を重ねますが、
やはり実物の色を完全に再現はできません。
展覧会で見た実物と、
図録や絵葉書の色が違うなあと思われた経験は
みなさんおありではないでしょうか。
広島平和記念資料館(原爆資料館)で、
2011年に
「こどもたちの見た戦争
はだしのゲンとともに」
の企画展があり、
「絵本はだしのゲン」原画も展示されたのを、
ご覧になった方もいらっしゃるでしょうね。
ここ←クリックで、
企画展のHPで原画がみられます。
これも写真で本物とは多少色が違うと思いますが、
ご覧下さい。
この映画で中沢さんの被爆体験を聞き、
原爆資料館の巡回展示会や、
実際に広島へ行き、
原爆資料館で見た
被爆者の皆さんの描かれた絵、
被爆体験の語り部の皆さんのお話しなどを
また思い出しました。
原爆投下後の惨状は、
映画ではなかなか表現しきれていない所もありますが、
原爆資料館の展示物では、
生々しく感じることができました。
行かれた事がない方には是非一度、
行かれることをお奨めします。
広島原爆の日に昨年と殆ど同じスピーチをした、
安倍総理はなんと無神経でしょうか。
(それを許す彼のブレーン、スピーチライターもですが)
こんな人に「集団的自衛権の行使容認」など、
させられてたまりません。
『原爆の子』『はだしのゲンが見たヒロシマ』
の後はシンポジウムでした。
加藤登紀子さん(歌手)
森達也さん(映画監督・作家・明治大学特任教授)
立花珠樹さん(共同通信編集委員)
御手洗志帆さん(新藤兼人平和映画祭実行委員長)
(鳥越俊太郎さんは体調不良のため欠席され
メッセージを寄せられました。)
御手洗志帆さん(26歳)は、
普通の会社員の女性で一人でこの「新藤兼人平和映画祭」
を主催してきました。
立花珠樹さんが新藤兼人監督に聞き書きした
『新藤兼人 私の十本』を読み
新藤兼人 私の十本/立花珠樹
『原爆の子』を観て感動し、
上映を思い立ちました。
過去二回の「新藤兼人平和映画祭」は公共の施設で行い、
赤字も出して自分で返済しました。
今回は新文芸坐に企画を持ち込み賛同を得ました。
お客さんはたくさん入っていましたが、
予想通り70代以上と思われる
年配の人がとても多かったです。
自分が平和の大切さを分かっていると満足せず、
子や孫とこういう機会を共有して欲しいです。
加藤登紀子さんは、
中沢啓治さんの作詞の
「広島 愛の川」のCDを出されました。
広島 愛の川/加藤登紀子
満州のハルピンで生まれて、
引上げ経験のある加藤さんは、
終戦後女性と子どもが集められ、
責任者にこの建物の中で餓死しますと言われたが、
女たちは承知せず、食べ物を買うために働いたことなどを
話されました。
「原発の平和利用は核武装の隠れ蓑。
いざ戦争となったら国は国民を守らない。
自分の命は自分で守って生き抜くことを忘れないで。」
加藤登紀子さん
森さんは、
戦争は嫌いだという
次の段階で、
戦争は「自衛」を口実に始まってきたことを考えて欲しい。
耳触りのいい言葉で説得されないように。
トラブルを恐れ、
なんとなく穏やかな所での着地をする風潮、
集団化が怖いと言われました。
立花さんは、
新藤監督が戦争は戦場で、
人を突き刺し、
突き刺されて死ぬ
という兵士の視点が必要だ。
と言われていたと紹介されました。
映画を観に来ていた、
鈴木邦男さんとパンタさん
(大好きなミュージシャンです)も、
急遽登壇されました。
鈴木さんはとても貴重な企画だと話され、
パンタさんは、
マイクが不調でゲストが地声で話されていたことを
老子の言葉、大音希声を例にし、
大きな音では皆聞かない、
だからロックはダメねと笑いを取りながら、
小さな声だと皆集中して聞いたでしょ?
と話されました。
昨日は新文芸坐の今やっている特集上映
「8・15 終戦の日によせて 反戦・社会派映画特集
映画をとおして日本の歴史を振り返り、戦争の悲惨や軍隊の真実を考えたい」で、
『私は貝になりたい(1959年、監督・脚本:橋本忍、フランキー堺主演)
『また逢う日まで』(1950年、今井正監督、久我美子、岡田英次主演)
を、娘と観に行きましたが、
こちらも若い人は殆どいませんでした(´□`。)
気が付いたら今年の劇場鑑賞本数200本越えていました。
もっとたくさんご覧になってみえる方も
たくさんいらっしゃると思いますが、
今年は3月までは忙しくて余り観ていないので、
4月から増えました。
ブログUPがなかなか追いつきませんが、
しばらくは、
戦争や平和について考えさせられる作品について、
書いていこうと思います。
もうひとつのヒロシマ──秀男と千穂の似島物語──/仲里 三津治
これは児童書ですが、
1万人を超える被爆者が運びこまれた広島の南にある「似島」が
舞台です。
大人にも読み応えのあるドキュメンタリーになっている、
おススメの本です。
はだしのゲン 文庫全7巻 完結セット (中公文庫―コミック版)/中沢 啓治
はだしのゲン わたしの遺書/中沢 啓治
「はだしのゲン」の実写映画第一作
(1976年)
製作・脚本・監督:山田典吾
主演:三國連太郎、左幸子
これ、小学生の時に観ましたが、
原爆投下後、
三國さんたちが家の下敷きになり、
火が回って亡くなるシーンなど、
当時はとても怖かったです。
↑菅原文太さんからのメッセージ、
ぜひ読んで下さい。
ぜひ読んで下さい。